おっくんの大好き!シーホース三河ブログ

シーホース三河を愛し応援する男、おっくんと申します。

うつで会社を休職した件について

どうも、おっくんです。

 

約5年前、うつと診断されて会社を休みました。

2か月で復帰したので、それほど重症ではありませんでしたが。

思い出しながら経緯などを書いていきます。

 

上司との対立

異動して2年目に係長との関係が悪化していきました。

1年目も時々不可解な判断をされる人でしたが、

2年目になるとそれがひどくなりました。

僕も頑固な性格なので、一歩も引きませんでした。

確か2月頃だったと思うのですが、

ふと「仕事やりたくないな」と思うようになりました。

その後、僕が担当する事務について係長と意見が食い違い、

決定的に対立することとなります。

係長からは「お前の仕事だろ」と言われ、

僕はそれをフォローするのはあんたの仕事じゃないのか?

と内心思い、その日はブチギレて途中で帰宅してしまいました。

どうしても許せなかったのと、年度末であったことから、

有休を消化して年度始めまで休みました。

自分が担当する事務だけはきちんとやりたかったので、

係長と顔を合わせないように、時間外と休日に出勤して

事務をこなしていました。

 

心が折れた日

新年度になり、課長は代わりましたが、係長は残留です。

僕の席は係長の隣だったのですが、

「席順は職歴が長い者順だ」という係長の意味不明発言により

僕の席は係長と一つ離れることになりました。

この頃にはもう仕事に対する情熱もなく、

担当の事務はこなすものの、最低限やってるだけでした。

1日が非常に長く感じたものです。

そうした日々を過ごしていたある日、

課長と係長に呼び出されて、全員いる場所で、

「ちゃんと仕事しろ」的なことを言われました。

(課長は素晴らしい人なので、もっとマイルドな言い方でしたが)

その場にとどまる事ができず、話の途中で部屋を出ていき、

ロビーの席にしばらく座っていました。

そのままずっとそこにいても仕方がないので、

以前にもお世話になったことのある臨床心理士の先生のところに向かいます。

先生を呼んでもらおうとして近くにいた職員に声をかけた瞬間、

僕はその場で泣き崩れてしまいました。

それから先生に話を聞いてもらって落ち着きを取り戻し、

先生に付き添ってもらって部屋まで戻りました。

その日はそのまま帰宅です。

 

そして休職へ

泣き崩れた翌日から、しばらくは仕事に行っていたのですが、

8月も半ばを過ぎたころ、出勤しようと最寄り駅まで行く途中

勝手に涙が出て止まらなくなりました。

職場に連絡し、その日は休み、すぐに精神科を探しました。

ネットで調べていくつかの医院に連絡したのですが、

何か月さきまで予約が埋まっていたり、

職場からの紹介状が必要だったりとなかなか難航しました。

自宅から通える場所でなんとか通院先を見つけ、

精神科を初受診です。

先生に今までの経緯を事細かに説明したところで、

「仕事休むか?」

と問われた瞬間、涙があふれました。

そして診断書を書いてもらい、職場にも休職する旨を伝えました。

 

休職期間中

休職して最初の1週間は自宅でおとなしくしていました。

しかし、出勤しないことを親が不可解に思うので、

そこからは着替えていつも通りの時間に家を出るようにしました。

(外出するのがいいのかどうかは分かりませんが)

行く宛ては図書館くらいしか思いつかなかったので、

いつもの帰宅時間までは図書館で過ごすことにしました。

(図書館の休館日は時間をつぶすのに苦労しました)

睡眠が不規則なせいか、本を読むとすぐに眠ってしまいます。

1週間に1度通院し、処方された薬を飲んで徐々に回復していきました。

しばらくした頃、近所の喫茶店で課長と庶務担当係長と面談をしました。

思っていたより元気そうだとの印象だったようです。

課長が言うには、直属の係長は「暴れている」とのことです。

正当に評価してくれる課長で本当に良かったと思いました。

自分の担当する事務について心配していたのですが、

特に何も聞かれることもなく、僕がいなくても仕事は回っていたようです。

組織なんてそんなもんですね、所詮は。

 

職場への復帰

最初の診断では1か月間の休職予定でしたが、

ちょっと無理そうだとの判断で、もう1か月延ばすこととなりました。

通勤電車に乗る練習、職場の近くまで行く練習を経て、

いよいよ職場復帰となります。

復帰直後は1日職場にいることができず、

早退させたもらう日が少し続きます。

課長の配慮で復帰直後は自分が担当する事務も他の人にやってもらいました。

まあでも、何もやることがないのに定時までいるというのも

それはそれで辛いものがありますが。

もうこの頃には係長をまったく信用しておらず、

何かあればすぐに課長に相談するようにしました。

職場にいることもだいぶ慣れてきたある日、

またも係長と衝突することとなります。

係長が電話で個人情報を漏らしているのを聞いてしまい、

黙っていられなかった僕がそれを咎めたことが発端です。

係長は逆ギレして、またもや

「これは本来お前の仕事だ」と言い放ちました。

僕は耐えきれずに部屋を出て、周囲に誰もいない場所で泣きました。

辛い事があった時に飲みなさいと処方されていた薬を飲み、

やっと落ち着きを取り戻して部屋に戻りました。

冷静になった頭で考えてみると、

「お前の仕事だ」という係長の主張は誤っていて、

他の係員の担当だったのです。

僕が所属していた係は、僕を含めて係員が3人だったのですが、

一人は実は精神科に通っていて、

もう一人も職場の臨床心理士に相談に行っていたようです。

係員全員の心が疲弊してしまうようなどうしようもない係長でした。

 

異動まで

職場に復帰して慣れてきた頃から少しずつ事務をやるようになります。

それでも1日はとても長く感じられ、

「この時間を好きなことにあてられたらどんなにいいことだろう」

と思っていました。

4月には部署異動する可能性があり、

それが待ち遠しくて、カレンダーにあと何日で4月1日か書き込み、

1日経つたびにバツを付けていました。

3月の下旬になり、内示が出て、僕は別の部署へ異動になりました。

希望の部署に行けるように課長が色々と動いてくださったのですが、

人事の判断で希望の部署には行けませんでした。

それでもそのまま残留するよりマシです。

本当に当時の課長にはお世話になりました。

勤務時間中も何度も声をかけてもらい、食事にも誘ってもらいました。

異動先の部署に何人も知り合いがいるようで、

「よろしく頼むよ」と根回しもしてくださっていました。

異動した後も、食事に誘ってもらったり、

廊下ですれ違うたびに声をかけてもらったりと、

何かと気にかけてくださいました。

 

異動した後の事

トラブルを起こし続けた係長は自ら他部署への異動を希望したようです。

係長の経験年数からすると課長へ昇進できる可能性もあるのですが、

そこはさすがに人事も見ています。

あんな奴では課長は務まらないとの判断でしょう、昇進はありません。

さらに他の部署に異動してしまったことで、万年係長が確定です。

まあ「ざまあみろ」といったところですね。

さて、部署を異動した僕ですが、やはりまだまだ完治とはいかないようです。

体がフワフワした感覚で、出勤するとすぐに机に突っ伏して寝ていました。

そのまま寝続けて先輩に起こされることもしばしば。

割と暇な部署なので、書類を読んだりしているとウトウトしてしまいます。

それを見ていた年下の後輩が大声でキレてました。

幸いな事に、課長も係長も僕の事情を知っていたので何も言われませんでした。

それは本当にありがたかったです。

2年目、3年目と年を重ねるごとに徐々に回復していき、

頭の方も随分と回るようになりました。

先々のことまで考えてしまい、不安に陥ることや

勤務時間中にウトウトしてしまうことはまだありますが。

精神科には2週間に1度通っていて、それは今も続いています。

先生からは「もう来なくていい」とも言われませんし、

薬を飲んでいるから現状維持できているとも思えますしね。

(精神科も商売という面もあるのでしょう)

 

やっておいた方がいいこと

自立支援医療制度の申請をできる限り早くしておいた方がいいです。

これは医療費の自己負担が1割になる制度です。

医師に診断書を書いてもらい、市役所の福祉関係の窓口で手続きします。

手続き自体はそんな難しいものではありません。

僕の場合はクリニックで必要書類と窓口を教えてもらいました。

手続きが完了したら、3か月以内に県から受給者証が送られてきます。

受給者証はクリニックと調剤薬局で呈示します。

1年更新で、2年に1度診断書を提出する必要があります。

更新の時期が近づいたらクリニックの人が教えてくれると思います。

医療費の負担は結構重いので、是非ともやっておいて欲しいですね。

 

参考になれば幸いです。

 

それではまた。