おっくんの大好き!シーホース三河ブログ

シーホース三河を愛し応援する男、おっくんと申します。

中学と恋愛

ついつい勢いでノートパソコンを買ってしまいました。

 

おっくんです。

 

久しぶりに中学校の卒業アルバムを引っ張り出して、

いろいろと苦い思い出を味わっていました。

 

中学1年生の時に好きな女の子ができました。

気持ちが離れていた時期もありましたが、

だいたい中学の3年間はその子に片想いしてました。

 

髪は三つ編みにしていて、色白で、

体型はちょっとふっくらしている感じで、

明るくてよく笑っている印象があります。

 

部活が同じで、初めて見た時は、

紀子様に似ているなあ」という印象でした。

結構一目ぼれに近かったと思います。

 

1年生の時、同級生の何人かで自転車に乗って

いろいろとまわっていくイベント的なことをやり、

その子も参加していました。

最後に「一緒に写真撮ろうよ」と言われたのですが、

何か照れくさくて断ってしまいました。

なんであの時断ったんだろうと今でも後悔しています。

 

部活が一緒だったので、それなりにしゃべっていたとは思います。

ただ、告白するような勇気はありませんでした。

 

遠足とかで写真を撮ってもらい、

1枚1枚貼りだされて、欲しい写真の番号を記入するというシステムがあり、

その子の写真がどうしても欲しくて、

でもそれだけを買うのも恥ずかしくて、

バレない様に自分が写っていない写真の番号を適当に書いて混ぜてました。

結構かわいいことしてましたね。

あの時の写真はどこにいったんだろう。

まったく記憶にありませんが。

 

3年生の時に、運良く、その子と同じクラスになりました。

気になって、気になって、授業中とかついつい見ちゃいましたね。

修学旅行で同じ班になれて、そりゃあもうテンション爆上がりです。

そのテンションとは裏腹にあんまりいい感じにはなりませんでしたが。

 

なんでだったか覚えていないのですが、

その子が誰を好きなのか分かってしまいました。

彼は、さわやかなイケメンで、

バスケ部の部長をしていて、

勉強もわりとできたと思いますし、

健康優良児に選ばれたり、

クラスでも委員長になったりしていたはずです。

まあ、目立つ存在でモテますよね。

卒業後は地元のバスケ強豪校に進学したので、

バスケもかなり上手かったようです。

 

彼とその子の関係がどうだったかは分かりませんが、

やっぱり女子もイケメンがすきなんだなって、

今になって強く思います。

 

婚活パーティーとかでも、

すべての男性に等しくチャンスがあるわけじゃなくて、

条件のいい上位の男性に人気が集中します。

残りの参加者なんてただの数合わせなんです。

 

イケメンのスポーツマンに生まれていたなら、

どんな人生になっていたんでしょうね。

中学とブラスバンドと私

おっくんです。

 

僕が通っていた中学校では、体験入部がありました。

確か5日間あって、好きな部に1日ずつ行く感じだったと思います。

 

僕は小学校の卒業文集に「入るぞ、運動部」などと書いていました。

小学校の時は野球が好きで、近所の友達ともやってました。

中日ファンで、特に落合博満が好きでした。

なんか軽く振ってホームラン打つところとか。

あと、「かっとばせ、キヨハラ君」という漫画が好きで、

それきっかけでなぜか桑田投手もお気に入りでした。

 

そんな僕なので、体験入部では真っ先に野球部に行きました。

でも、なんか違ったんでしょうかね。

1日目以降は行きませんでした。

 

その後行ったのがブラスバンド部です。

今となっては何きっかけで行ったのか覚えていませんが。

友人のお兄さんがブラスバンド部だったからかな。

 

ブラスバンド部が楽しくて、結局残りの日はすべて行ったと思います。

そしてそのまま入部です。

 

1年生の秋ごろまでは体力づくりで楽器は触らせてもらえません。

グラウンドを走ったり、腹筋をしたり。

懐かしいですね。

 

どこも似たようなものかもしれませんが、

ブラスバンド部はほぼほぼ女子で、同学年の男子は3人だけです。

担当する楽器を決める時も、僕には選択権はありません。

自動的にチューバになりました。

金管楽器の一番デカいやつです。

 

先輩からはあまり教わっていません。

というか、ほぼ何も教えてもらっていません。

今思えば、こんなので上手くなるわけありませんね。

さらに、僕は練習態度もいま一つな部員でした。

あと、譜面にコードを振らないと読めないという。

 

そんな僕ですが、部長に立候補してしまいます。

部長は男子がやらねば、そんな意味不明な想いがあったのです。

めっちゃ頼りない部長です。

もっと適任な人がいたと思います。

というか僕は全然向いてないです。

 

クラスではおとなしいキャラでしたが、

部活では結構好き放題に振る舞っていました。

どちらかというと、部活の方が本来の自分のキャラではないかと。

 

こんなダメ部長率いるブラスバンド部でしたが、

3年の時に出たコンクールでは金賞を受賞しました。

もう一つ順位が上だったら県大会に出場で来ていたのですが。

いわゆる「ダメ金」というやつです。

 

今思い返すと、

部長はやるんじゃなかった、

もっと一生懸命練習すればよかった、

ちゃんと指導してくれる人がほしかった、

そんな事を思います。

 

もう元には戻れませんが。

司法試験と私

おっくんです。

 

自分の人生を語るうえで欠かせないこととして司法試験があります。

 

実はその昔、弁護士を目指していました。

きっかけは高校の時ぐらいだったと思います。

お隣と土地の境界でもめて、ちょっとしたトラブルになりました。

その時に、「ああ、頼れる弁護士とかいればなあ」って思いました。

それで、自分が目指そうと思ったのです。

 

大学は運良く希望通りの法学部に合格することができました。

そこから2年生になって、司法試験予備校にも通うようになります。

いわゆるダブルスクールってやつです。

 

初受験はたしか大学4年生の時だったと記憶しています。

結果は箸にも棒にも掛からぬものでした。

 

そのまま就職活動など一切することなく卒業します。

卒業後も司法試験合格を目指して勉強を続けました。

だがしかし、です。

卒業して2年間の自分は最低でした。

司法試験浪人という肩書はあるものの、ほぼニートです。

バイトもせず、勉強もあまりせず、ただダラダラと過ごす日々。

そんな生活で太ってしまい、70キロの大台に突入します。

 

これではダメだと思い、バイトと減量を始めました。

それから少しずつ勉強にも力を入れるようになります。

ただ、どういう勉強をしたらいいのかは中々掴めませんでした。

通う予備校を変えたり、次々といろんな参考書に手を出したり。

 

司法試験は6回受験したのですが、

どんな勉強をしたらいいのかを掴めたのは6回目の受験の時でした。

 

司法試験は、マークシート式、記述式、口述式と3段階の構成です。

それぞれを合格していかないと先に進めません。

僕は毎年マークシート式すら合格できていません。

やっと6回目の受験で手ごたえを感じ、自己採点でも8割近く取れてました。

これは受かったなっと思ったのですが、1点足りず不合格でした。

 

その後、試験制度が変更となり、法科大学院に通う必要が出てきました。

この変更をきっかけに僕は受験を諦めることにし、

現在の職場への就職に舵をきることとなります。

 

司法試験は本当によく考えられた試験で、

受験生にどんなことを問うているのかという意図がはっきりしています。

基本的知識、論理的思考力、合理的な時間の使い方、などなど。

絶対に正解してほしい問題、捨てる問題、時間をかけて解く合否を分ける問題。

ただただ意味のない知識を覚えるだけではないので、やっていると面白いです。

難しいですが。

 

弁護士になりたかったのは事実です。

ですが、僕は社会に出るのが怖かったというのも偽りのない事実です。

司法試験受験というのは一種の逃げでもあったのです。

 

今はこうして働いていますが、

自分が社会人であるということにはいまだに違和感を覚えます。

 

貴重な20代を司法試験受験に費やしてしまったこと。

これは今でも後悔が残ります。

特に最初の無駄にした2年間。

この後悔の念があるからこそ、就職してからは悔いのない過ごし方をしようと躍起になっていました。

 

今も充実した生活を送りたいと思ってはいるのですが、

一体何をすればよいのやら。

持て余す日々です。